長期海外出張で、良い結果を残せなかった。反省→改善。
2017年12月31日。今年もあっという間に終わろうとしている。
今年は、今まで生きてきた25年間の中でも特に、色々と変化の多い一年だった。
変化を最初にまとめてしまうと、
・学生→社会人になる(就職)
・研修期間中、日本全国を転々と移動
・自分で金を稼ぐようになる
・配属後、直にブラジルへ長期海外出張に行く
といったところか。
とりわけ、学生から社会人へ身分が変わったのは、自分の中で、想像していたよりも遥かに大きい変化が生まれた様に思う。
お金を払ってまで学ぶ、という事が遂に終わった、という事。
会社に労働を提供し、その対価として賃金(お給料)を貰う、という事。
賃金を貰っているのだから、当然僕はそれなりの結果を出さなければならない。
初の海外出張では、周りはどう思っているか分からないが、自分では大した結果を残すことが出来ず、点数を付けるとすればギリギリ平均点、といった所であろうか。
正直、自分はもっと「出来る」人材だと信じていた。要領よく仕事をこなし、周りから一目置かれる存在になれると思っていた。しかし現実は、指示を理解できても、実際の作業(アウトプット)は中途半端でしかも間違っている。期日までに結果を残すことが出来ない、といった具合だ。
幸いな事に、僕は社会人1年目という事もあって、周りの社員も暖かい目で見てくれてはいるが、そんな不十分な結果しか残せていない自分に対して、不甲斐ない思いで一杯なのだ。
悔しい。ただただ、悔しい、、、。
実用書やビジネス書を何冊読んだ所で、結局それを実践出来ていなければ、一冊も読んでいない事に限りなく近い。その事を痛感した。
僕には、まだまだ甘えの心がある。
2018年には、そんな「甘え」を捨て、良い結果を残して周りからの信頼を勝ち取りたい。「お、あいつ変わったな」って、思われるような存在になりたい。
2017年は、英語、ポルトガル語の能力が向上した。英語に至ってはビジネスレベル、ポルトガル語は日常会話レベルにまで達したと思う。
2018年は、
英語→TOEIC850以上
ポルトガル語→単語を増やす、使える文法事項を増やす
ヒンディー語→読みの練習、日常会話の練習
を必須条件と置く。
後は何語に手を付けようかしら。
中国語か、マレーシア語か、ベトナム語か、、。
ベトナム語なんてのもいいかもな。
今ふと思いついたのだが、東南アジア諸言語全てを日常会話程度喋れる様になったら、意外と強い人材になれるのではないか。
ビルマ語、タイ語、ラオス語、ベトナム語、カンボジア語、マレーシア語、インドネシア語、、。
そうなったら、文字の壁が無いベトナム語から手を付けてみるかな、、、。
大企業
就活の時に考えてたこと。
<大企業に入る意味>
・大きい資本を以てビジネスが出来る。
・あとから中小、ベンチャーには転職できるが、逆はし難い。
・給料が良い
・大学まで出て、知名度の高い企業に入る事で、田舎の両親への親孝行になる
こんな事を考えていた。
大企業の社員になった今、上にあげた事は何ら変える必要がないと思う。
1つ、誤算だったといえば、
大企業は、「スピード感」に欠ける、という事だ。
自己の成長スピード、裁量からしたら、ベンチャーで仕事を手伝っていた時の方が圧倒的に凄かった。
大企業で、それなりの裁量を与えられて思いっきりビジネスをするには、
完全なる年功序列社会で数年の「我慢」が必要である。
その「我慢」の先に、大きなる裁量で仕事をする事を許される。
その時には、勿論大きなる責任も背負う事になるが。
入社5年で会社を辞めたらきっと。
大企業サラリーマンとしての本当の「楽しさ」、「醍醐味」を感じる事が出来ずに終わるであろう。
現時点で推測するに、最低でも7、8年は必要である、と言える。
事故に遭った。
連日台風情報が放送させているが、現在私のいるここ関東地方は全くの快晴である。
夏と変わらないぐらい気温が上昇してかなり暑いが、ミンミンゼミの声が一切聞こえてこない。夏も終わり、これは「残暑」なのだと、感じざるを得ない。
一昨日、バイクを運転中横転して、両腕と右足を負傷した。
国道140号線を50km程で軽快に走っていたのだが、そのまま急カーブに入ってしまい、うまくハンドルを切ることが出来ずに、その場で転んだ。ガードレールに突っ込むこともなく、周囲の車に接触することもなく、要するにただの自滅で終わった。
後ろにはトラックが来ていたが、幸いなことに僕が横転したのを見て停まってくれたので、轢かれずに済んだ。不幸中の幸いである。
事故を起こした、というのも、人生のうちにそうは経験しないと思うので、その時の僕の心情を少し細かく書き記しておきたいと思う。
カーブを曲がろうとおもって50km程出ている状態でハンドルを切った訳だが、バイクがフラフラし出してブレーキが全然聞かなかった。
この瞬間、「あ、これは滑って転ぶな」と瞬時に思ったのは覚えている。
そのまま、僕は右側に傾くようにバイクと共に横転した。砕け散って前方に飛んでいくバイクのパーツを見て、「あーバイク壊れた。これは不味いことになりそうだな…」と思いながら地面に叩きつけられた。その時は特に痛みも感じず、このまま横たわっていたら後続車に迷惑を掛けると咄嗟に判断して、すぐに起き上がり、バイクを何とか起き上がらせて車道脇、白いガードレールにもたせかける様に置いた。
後続車はその間停まってくれていて、僕が立ち上がってバイクを路肩に寄せるのを見届けるや否や、何事もなかったかの様に発信していった。僕は「大丈夫か」ぐらいの言葉を投げかけられるものだとばかり思っていたので、凄く違和感を覚えた。緊急事態とはいえ、普通の人は出来るだけ「我、関せず」を貫くんだなと感じた。
その後、国道なだけに後続の車が次々と事故現場を通り過ぎて行った。進行方向と真逆の向きに停められた、前輪が取れかかっていてサイドミラーがブランブランしている事故車に皆好奇な視線を投げるだけで、誰一人事故にあった僕に話しかけてくれるひとはいなかった。
「さって、事故っちまったなぁ、、、どうすれば良いんだっけな」と思いながわ、取り合えずガードレールを飛び越えて歩道に入り、数メートル先の路肩に腰を降ろした。
ここで、改めて自分の全身を眺めていると、右手のひらから激しい出血をしていて血だらけになっている事に気が付いた。
自分が怪我をしている事に気が付くと、人間は痛みを認識する様に出来ているらしい。おびただしい血の量を見た途端に、激しい痛みが僕を襲った。右膝辺りのジーパンは破けていて、「お、これで正真正銘のダメージジーンズの出来上がりだな」なんて思った。
スマホはバキバキに割れていたが、ガラケーは一切損なわれていなく無事であった。とりあえず119に連絡するかと思い立ち、119に電話を掛けた。ワンコールで出て、火事ですが救急ですか、と電話越しに問いかけられる。火事ではないな、と思い、救急です、と手短に答えた。続いてどうされましたか、と問われたので、ここで事故った詳細を詳しく述べた。
この時に確認として問われたのは、
バイクのガソリンは漏れていないか
怪我はどのぐらいしているか
現在地を教えてくれ
の三点だった。ガソリンの漏れを聞かれて、ちょっと待ってくださいねーなんて言って、再び事故ったバイクが置いてある現場まで行って状況を確認したり、現在地を教えるために、周りに見えているものを説明したりした。
電話し終わった後、とりあえず親に電話を入れた。そんなに大事にしたくなかった、という心理が働いたのか、平静を装って話そうとしている自分がいた。
「いやーバイクで転んじゃってさー、バイク壊れちゃった。、、、うん、、、うん、、いや、俺自体は何ともないんだけどさー、、レッカー車呼ぶと金掛かるから、車出してくれない?、、、うん、、、うん、、、取り合えずこれから消防が来るらしいから、終わったらまた連絡するわ。うん、はい。」
いつも通り電話したつもりだったが、声が上擦って、震えていたと思う。
そして5分後ぐらいに、遠くからけたましい音を立てながら消防車が来るのが分かった。「うわーー大げさだなあ、、、」と感じずにはいられなかった。僕と事故車を発見して、その場で消防車と停止させるや否や、3人の赤い服を着た救急隊員が僕の方にやって来た。
なんか職質みたいに色々聞きだされるのかと思ったら、感じのいいおっちゃんって感じで、「どうしたん?転んじゃったん?」ってな具合で話しかけてきた。これには僕も笑顔になり、「そうですねー、、やっちまいましたねぇ…」と返答した。
その後。若い隊員二人が、僕の生年月日や職業を聞いたり、ケガしてる部位の応急手当をしてくれた。この手当をしてくれていた隊員がいきなり、「俺の事覚えていますか」なんて言うもんだから、えっ?って言ってまじまじとその隊員を見た。なんと、かつての習い事をしていた時の後輩だった。10年ぶりぐらいの再開だった。これも不幸中の幸いって言ってもいいのかなぁ。
それでテキパキと処理を終えて、救急隊員は帰っていった。警察も来ていたのだが、僕が比較的軽傷で、事故ではなく物損だけとのことから、すぐに駐在所に帰ってしまった。僕は再び、事故車両と共にその場にポツンと取り残されてしまった。ああ、こんなにも早く事故処理って終わってしまうのね、と思った。
畑の土手に移動させたバイクの隣に座り、モンゴル800の「I will be」を大音量で聴いてた。後ろの国道では、には、まるで何事もなかったかのように車がビュンビュンと行きかっている。
なんかデジャヴを感じるなと思ったら、そうだ、村上春樹の処女作「風の歌を聴け」でも、こんな様な場面があったのを思い出した。主人公と鼠が、車で思いっきりスピードを出して走っていて、電柱にぶつかるんだったっけかな?でも2人は無傷で、そのまま屋根の部分から車の中から脱出して、煙草に火をつけるシーンがあったはずなんだ。それを思い出していた。
その後、親父がバンで迎えに来てくれて、バイクをどうにかこうにか車に乗っけて、帰路に着いた訳だ。
今、右手には包帯を巻いていて、足には仰々しくもデカい絆創膏を2枚貼っている。
とんだ3連休初日となってしまったが、まあこういう事もあるよな、と、反省してるというよりは人生の内の貴重な経験をした日として振り返っている。
台風は東北へと向かっている。
僕は図書館へ行き、TSUTAYAへ行く。
■
昨日で全ての新入社員研修が終了し、
本日より本配属となる。
緊張もしているが、同時に武者震いがしている。
昔から、あらゆることで褒められることの方が多かった自分。
○○君、頭良いね
足速いね
カッコいいね
上手だね
凄いね
サスガダネ……。
客観的に見て、僕は、学校で求められた要求は、ある程度の完成度を以て応えられてきたと思う。なんでも卒なくこなせる、優等生タイプだった。
でも、本当の自分を見つめ直すと、決してそんなことはない。それは、自分が一番分かっている。
本当の自分は、
いつも他人の顔色を伺っていて、
他人に嫌われることを何よりも恐れていて、
手先が非常に不器用で、
精神的に脆いところがあって。
そんな自分が、果たしてどの程度会社組織という社会で通用するのか。
これは、自分のことながら、前から興味があった。
きっと会社には、意地悪な人がいるぞ?
嫌な人とも、毎日顔を合わせないといけないぞ?
やれるか?自分。本当にやれるのか?
こんな問いを自分に投げつける。
「僕」は正直戸惑う。
人が生きる意味まで遡って考えると、仕事「なんて」、そのほんのごく一部に過ぎない。そういうスタンスだから、仕事に対して斜めに構えていると思われても、否定する事は出来ない。
しかし、同時に「僕」は知っている。
主体的に生きる事こそが、自分の生を最も輝かせる方法であることを。
新入生らしく、会社を破壊するつもりで、挑んできます。
本気で狂ったヤツには、誰も適わない
先日、映画「奇人たちの晩餐会」を観た。1998年に制作された、フランスのコメディ映画である。
この映画を端的に説明すると、自分が「コイツこそ世界一の大馬鹿者だ!」と思ったヤツを、晩餐会に連れて行って、その馬鹿さ加減で競い合う、という、何とも冗談が過ぎる最高にゲスな晩餐会を開いている男の話だ。
訳あって、主人公は自分が選んだ「世界一の大馬鹿者」と、自室で一夜を共にすることになる。そこで様々なハプニングが起こるわけだが、僕は腹を抱えて笑いまくった。
あるサイトでは、「二流の一般人が、一流の馬鹿に翻弄される映画」と評していたが、言い得て妙、まさにその通りなのである。
僕に当てはめると、完全に僕は「二流の一般人」だ。誰から見ても称賛されるような人にもなれないし、「頭おかしい」と揶揄されるような面白可笑しい人にもなり切れない。
多分、僕みたいな人が世の中の大多数を占めていて、いわゆる「平凡」な人なのだと思う。僕はそんな自分があまり好きではない。
何とかして「非凡」になろうとしているのだが、いつも決められた枠組みの中に納まてしまっている様な感覚になる。文字にすると当たり前に見えるが、「自分」、という人間の起こす行動一つ一つが、自分の予想の範囲内にすべて収まってしまっていて、それを現在進行形で行っている自分自身は、非常に退屈をしてしまう。
具体的な例を挙げると、
久し振りの友達とばったり会ったとする。
その時、僕がとるリアクションは、大体
「お~、○○久しぶりじゃーん。元気~??ハハハ」
みたいな感じだ。
この場面で、僕はおどけてみせたり、言葉が出ないほど感激している「振り」もする事はないだろう。いや、そういうリアクションが「出来ない」。
そういう、ある種固定化されてしまった自分像があって、それを何とか打ち砕こうともがいている。
新しいものを観たり、聴いたり。行った事のない場所へ行ったり。
それ自体は、未知なる体験、ということで、大変意味のある事だとは思うが、
それを受け止める「自分」がいつもの自分のままだったら、自分がどのぐらい感激するのか、どういうリアクションをとるのかが大体わかってしまうので、本当につまらなく感じてしまう。
一速のギアでアクセルを踏むのは、もう必要ない。
今の自分に本当に必要なのは、ギアをチェンジすることなのだ。