高校教師の奮闘記録。

このブログのキーワード:外国語、大企業、働き方、人生、カフェ、喫茶店、読書

この場ぐらい、本音で語らせてくれ。

秩父市の至る所で人員削減/機械化が進行している。人の幸福感・疎外化

秩父にあるお店の至る所で、業務効率化に伴う人員削減/機械化の導入が相次いでいる。私が気が付いた所だけになるが、ざっとご紹介。

 

ベルク

 レジの「支払い」が機械化した。バーコードで商品を読み取るのは人がやっている。支払機が、レジ1つ辺り2つ設置されている。これにより、支払いでもたもたする人がいる事によるレジの混雑が解消。かなりスムーズになった。

 

すき家

 こちらも、支払いが機械化した。これにより、会計に人員を取られなくて済むので、配膳に回る事が出来る。

 あと、店舗入り口のドアを開けると、自動で「いらっしゃいませ」とアナウンスが流れる。逆に店から出る時には、「ありがとうございました」と流れる。これにより、スタッフは客が来たこと/出ていった事が音で分かる。いちいち言わなくて済む。

自遊空間

 入退場を管理するタッチパネルの機会を導入。これにより、フロントの人員を1人分は削減出来ている。

 実際、今日タッチパネルを使って入退場してみたが、10秒ぐらいであっさりと出来る。かなりスムーズになった。席の移動も、同じ機会でスムーズに出来る。

 

吉野家

 店員が客の所にお茶を運びつつ、オーダーを取るスタイルを廃止。リニューアル店では、マックみたいに、レジにて先に会計→受け渡しカウンターで牛丼を渡す流れに。これにより、ホールには誰もスタッフが張り付いていない。トレーの片付けも、客が自分で片付ける。

 ただ、今回のリニューアルで、新しくドリンクバーやサイドメニューが充実したりしたが、果たしてそんなものを客が求めているのか、かなり疑問だ。

 

秩父市立図書館

 本の貸し出しを、利用者が自分で行える機械を導入。バーコードを読み取る作業を、従業員がする必要がなくなったので、業務効率化に繋がっている。ただし、書庫の本や、CD/DVDなどの貸し出しには、人の手が必要である。

 

ユニクロ

 商品のバーコード読み取り・支払い・袋詰めまで、全て客が行うスタイルに。これにより、実質レジにスタッフは不要となり、人員削減に繋がっている。

 

この様に、秩父の至るお店で、人員削減および業務効率化が行われている。企業側としては、人件費削減にもなるし、業務効率化にもなるしで、かなり手ごたえを感じているのではないだろうか。

客も、「セルフレジ」に関しては、そこまで混乱は見られないように感じる。あ、自分でやるのね、って感じで、そこに対して不満を言っている人はあまり見た事がない。まあ、客が必要としているのは、購入したいその商品そのものなので、素早く会計が出来るにこしたことはないのかもしれない。

 

 さあ、しかし、ここまで読んだ人には分かると思うが、このヒューマニズムを至上として置いている私にとっては、やっぱり「行き過ぎた資本主義」を感じざるを得ないし、「人間の疎外化」、「人と人のやりとりの本質の喪失」を嘆きたくなる訳ですよ。

 

 昔の、ほら、八百屋なんかで、へいらっしゃい、今日は良いサンマが入ってるよ、お、姉ちゃん美人だね、おまけに一尾サービスしてあげる、はい、200円のお返しね、まいど。お、やすえちゃん久し振り、どうだい・今日はサンマが安いよ、なんて会話、無駄って事ですよね。

 

 コミュニケーションとしての売買が要らなくなって、ただただ、必要なものを手元に揃えるのが目標な訳。今の資本主義は。あ、自分その商品が欲しいだけなんで。世間話なんていらねーっすわ。みたいな。

 商品を購入するまで、別に誰とも話さないもんね。ユニクロなんかに行くと、別にオレ自身に言ってるわけじゃなく、フロア全体に向かって、「どうぞご利用くださぁーい」とか言っているけど、そこの売り場にはオレしかいないから、実質オレに言ってるのね。オレの存在に対して営業してるわけ。オレ個人には、何ら関心はないわけよ。

 

 なんかさぁ、そんな世の中になっていって、いいのかねぇ?

 これが正しい在りようなのかね?これが「途上国が夢見る先進国」って奴なんですかね?

 

 どうも、嘘っぱちに見えるんだよなぁ。

 

 

 <今日の一日一新>

・群馬大泉のCasablancaでビュッフェ。

 

 

箱根・明星ヶ岳を登ってきました。

f:id:zayyaaung:20191204212738j:plain

宮城野橋近くの登山口より

 

箱根に佇む山々の1つ、明星ヶ岳に登って来た。

連れが登山初めてという事で、頂上まで約930mと手ごろな山だったので、この山に決めた。

 

頂上手前で、大文字焼で有名な場所を通過する。そこからの景色が、ぶっちゃけ頂上からのそれよりも格段に美しい。

f:id:zayyaaung:20191204213020j:plain

大文字焼からの眺望。遠くに富士山が見えた

 

12月とはいえ、汗ばむ程の気候だった。登山には絶好の気候だった。

他の、箱根の山も登りたい。

一日のログ

 

7時 起床。 コップ一杯の水を飲み、仕事に行きたくない気持ち 30%を抱えながら朝食を食べる。

 

7時45分 家を出る。秩父FMを聴きながら。

 

 一日授業。

 授業の気分が乗るとき。

 50分丸々と授業をしようと思わず、帯活動10~15分+メイン活動40分ぐらいで考えると良いのかも。

 

 どうしたら一日気分良く過ごせるのか。

 ・身の回りの物を「自分が好きな物」で固める。

  →ただ、自分にとっての<ノイズ>が無いと、人は成長しないと考える。ある程度はノイズを残しておかないと。まあ、それは「あえて残しておく」なんて考えなくても、自然と発生するものか。

 

 ・笑顔を作る。

  人は、可笑しいから笑うのではなく、笑うから可笑しくなるのだ。もう、どんなことでも笑える要素を見つける。或いは、見つけてあげる。

 

もっと読書したいし、もっともっと、人を笑顔にしたい。

ただ、その技量が足りない。自分自身のキャパをもっと増やさないと。

 

 

あっち

自分と利害関係のない者には優しくなれるが、それがあると酷く冷徹だ。

 

と、自分の性格を思い知った。

 

自分にマイナスの利益が及ぶと分かった時、その人にやさしくなれない。

いや、ある程度の「許し」は出来るが、相手の行動が意図的に、或いは怠慢により自分に利害が生じてしまった場合は、それは看過出来ない。する気にもならない。

横浜出張。

横浜市立の、某進学校の研究授業に参加。

 

1限だけ自習の指示をして学校を出て来た。授業出来るかなと思ったけど、片道3時間弱掛かることを考えて断念。まあでも、しっかり授業しようと試みる自分の姿勢だけは褒めておこう。

 

電車内では、読書。東浩紀「弱い繋がり」の続き。検索ワードをゲットするために、絶えず移動せよと。環境を変えよというメッセージは強く私の心に刺さった。チェルノブイリ原発には、今も数千人の労働者がおり、街にも車が往来している。暗い顔をして粛々と労働しているかといえば、そんな事はない。現地の人は、チェルノブイリの悲惨な事件を、風化させることなく後世に伝える事が出来るのであれば、映画を作るでもゲーム化するでも構わない、という。東は、地元民か、旅人か、ではなく、その間を行き来する「観光客」としてのぞき見するだけでも十分に価値のある行動だと言う。そういう人がいるからこそ、チェルノブイリは後世まで伝えられていくのだ、と。この考えには私も同意だ。人は、様々な事に首を突っ込んで、その界隈の雰囲気を味わった方が良い。知らない世界を知る事で、自分の立ち位置を相対化する事が出来る。

 

 村上春樹の、「雑文集」を、先日ブックオフで購入。過去に渡って、色々な所に書き散らしていた文章を、村上春樹氏が拾い集めて、大体のカテゴリー別に並べた本だ。最初の、「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」からもう村上ワールド全開、という感じだ。まだまだこの本を咀嚼し切れていないので、今ここでライトに書くことは出来ない。

 

ちなみに、今日はランチに「つばめグリル」という老舗?でハンバーグを食べた。

f:id:zayyaaung:20191125210714j:plain

つばめグリルの看板メニュー。ソースが濃厚で美味。

ホイルをナイフで切り裂くと、ジュージューとソースが音を立てながら泡立っている。切れ目から湯気が立ち、ハンバーグの匂いがあたりに立ち込める。口に入れた瞬間、柔らかいお肉とソースが絡まり合って、とても美味い。

 

 

 こんな駄文をいくら書いても、世間的には何の価値がないのは明白だが、思考の整理の為にも、少しでも毎日「確かに私は何かをしていた」というlogを残す為にも、とりあえずダラダラと書いてみる。

 書き記さなかった事は存在しない事と同義だとは思わない。しかし、私の経験上、一回でも文字に起こして書かれた過去の記憶は、後でまた思い出しやすくなる事が多い。しかも、その時の情景も自分が書いた文字から鮮明にイメージ出来る事も多々ある。

 

 些細な事でも、世界を切り取って、分節化して、自分の目線から語る練習をしよう。僕が、僕であること。それをより、強固にするために。

 

 

<一日一新>

・「つばめグリル」にてランチ。

・池袋、「ロクシタンカフェ」にてコーヒー。客が少なく、ゆっくりしたいときにねらい目。

上大岡駅下車。誰も自分の事を知らない街。でも確かに、そこでは世界が回っている。不思議である。僕の存在は、1ミクロンも影響していない(気がする)。

 →、嗚呼、そう考えると、あの時一回でも発言しておけば良かった。自分から、「オレはここにいるよ」って、主張すれば良かったんだよな。

西武池袋線特急の「ラビュー」乗車。窓が大きい。車内が広々としていて、清潔感がある。

 

 

あっち