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この場ぐらい、本音で語らせてくれ。

暇さえあればスマホを弄ってる社会なんて、面白いか?本当に皆が望んでる社会なのか??

 

 

 

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今や完全に、デジタルデバイスが人間の生活に組み込まれてしまった。

 

ほんの十数年前までは、youtubeの動画が子供たちの間で話題になることなんてなかった。大体の場合、男子の間では少年ジャンプやアニメ、テレビ番組の話題で盛り上がり、女子の場合は(おそらく)少女漫画やファッション誌で盛り上がっていたのだ。

 

友達と遊ぶ約束をするにしたって、筆者が小学生だった2000年代は、

①クラスの連絡網から友達の家の電話番号を調べ、

②固定電話から電話を掛ける。そして、

③大体の場合友達の母親が電話に出るから、「もしもし○○ですけど××君いますか」と決まり文句の様に良い、

④ここでようやく友達と話すことに成功するのである。

 

この流れが当たり前だった。確かに今のスマホが当たり前になった時代から振り返ってみると、やや面倒だと思うかもしれないが、当の子供たちはそれが当たり前だと思っていたし、何ら不便だと感じる事もなかった。電話による連絡の取り合いなんて、実際に会って遊んだり話したりすることに比べたら、単なる手段に過ぎなかったのである。それが今や、携帯(スマホ)に電話機能、メール機能に次いでインターネットサービスが普及したことから、誰もが「娯楽」としての使用が多くなった。

 

この携帯端末の多機能性は、一見便利な様に見えて、ネットリテラシーの低い若者にとって自分の時間を無意識のまま搾取されている諸悪の根源に過ぎないのである。ネットを使う、という行為を人間が選び取らなくてはならないのに、逆に暇さえあれば携帯を弄っている始末だ。本当は大して知りたいと思っていないのに、「人生 幸せになる方法」などとgoogle検索をして、上の方に引っかかった「幸せになる○つの習慣」などといったインスタントなHOW TO記事を読んで、即物的な満足感に浸っているのである。本当は、幸せになる方法なんて、そんな所に転がっていないのに。

 

 

都内で電車に乗っていて、ふと顔をあげて向かいに座っている人たちを見ると、7人掛けの座席に座っている人全員が一心不乱にスマホを背中を屈めて弄っている光景に、かなりの確率で遭遇する。そういう瞬間、なんかこうゾッとした気分になるのは僕だけだろうか。

 

もはや普通の状態がスマホを弄っている状態で、もし自分の目の前に立っている高齢者がいる様なら、まるでマニュアルの様にスッと立ち上がり、その場を後にする。その時、耳に突っ込んだイヤホンはそのままで、高齢者との些細なやり取りすらないのだ。

 

各駅に停まる度に、空いた座席はないかとスマホを弄りながら確認している。空いた席に座ろうとしている人がいれば、まるで自分は「別に自分は座りたくありませんでしたよ~」という素ぶりで、またスマホの画面に戻る。

 

 

たまにお爺ちゃんとかが、座席に座って手持ち無沙汰に車窓から外を眺めているけど、そういう事をしている人の方が、今では少数派であり、「何やってんのこの人」という白い眼を向けられてしまうのである。都内では、車内ではスマホチェックが最早スタンダードなのだ。

 

みんな、本当にスマホを弄りたくて弄ってるんですか?

LINEやtwitterばっかり見てて、そんなに人の事が気になりますか?

そんなにリアルタイムに相手の心情が知りたい?

 

 

便利だ、という事に対して、僕たちはその対価として何かを払っているという事を忘れてはいけない。

 

例えばコンビニであれば、駅構内や駅近にある利便性の対価に、少々高い値段が付いている。

 

LINEを使えば、即時に連絡が取れる代わりに、あなたの貴重な時間が対価として奪われている、という事実を、もっと意識を向けるべきだと思う。

 

某予備校の有名講師である西きょうじ先生の言葉を借りると、

 

「踊らされるな、自ら踊れ」

 

ということだ。もっと主体性を持たなくては、この先ずっと時間を(つまり自分の人生を)搾取されるだけだ。

 

 

 

参考までに、政府が発表した携帯端末の保有率です。

 

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これを見ると、携帯契約数は約1億6000万台あり、もはや国民1人1台以上の計算になりますね。