高校教師の奮闘記録。

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この場ぐらい、本音で語らせてくれ。

自分が何をしたら良いのか分からない人が凄く多い。

 

仕事上に置いてもプライベートに置いても、タイトルの様な「自分が何をしたら良いのか分からない」と良く相談される。

「何をしたら良いのか分からない」というのは、詰まるところ「何かをしたいけど、自分がどういう選択をしたら良いのか分からない。自分が何が好きなのかが分からないから、行動に移せない」という事である。

 

 相談を受けて、まあ一応はその人質問を交えて会話をしながら、ちょっとしたアドバイスぐらいは出来る。会話:アドバイス=9:1ぐらいの割合で。今までどんな事をしてきたのか、何をしてる時が楽しいか、何をしてる時が苦痛と感じるか、自由時間は何をしているか、「検索ワード」はどんな感じか、好きなyoutuberは誰か、ポンと100万円手に入ったら何に使うか、親との関係はどうか、ずっと地元にいたいか・地元に帰りたいか・地元を出たいか、等々。

 会話を通して、相手の思考が整理されていって、当人で自分の進むべき方向性が見えてくる場合もある。そうしたら、私の役割とすれば、その選択を「承認」(最近重要だと思っている概念)してあげて、背中を押してあげる事だ。

 -いいね、それ!しっかり悩んで出した選択なら大丈夫。オレは、○○さんをずっと応援してるよ。頑張ってね。… 

 

 人は、たぶん、どんなに「正しい道」を選択して、進んでいると思っていようが、他者からそれを認められたいものだし、同時に、その道を歩んでいる自分の背中を押してもらいたいと思うのだと思う。

 その表れとして、SNSでは「フォロワー」に向けて、何か自分が選択した進路などは決意表明と一緒となって投稿される。それまではおちゃらけた内容ばっか投稿していても、就職や退職、彼氏と別れた等は神妙な投稿になりがち。 

 

 ホントはみんなに認められたいんだろうなぁって。煌びやかに、自分を良いように見せる投稿やツイートはしてるけど、内心は凄く不安なんだろうなぁって。友達の投稿を見る度にいつも勘ぐってしまう。

 

 そういう投稿のコメント欄は、決まって「良いね!」「さすが○○!」「イケメンすぎだろ」「○○ー!!こんどご飯いこ。詳しく聞かせて!」といった即物的な条件反射的コメントが際立つ際立つ。そのスマホの画面の向こうでは、トイレにこもりながら、youtubeを観ながら、文字通り「片手間」でフリップ入力しているだけなのにね。大して頭で考えもせずに。

 

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話を少し軌道修正すると、そう、「自分が何をしたら良いか分からない」人って、本当に多いんだ。自分が何をすれば自分が喜ぶのか、自分の「トリセツ」をしっかり読み込んでない人が多い多い。

 

 自分の快楽分子というか、他者に依存しない形での「一人の楽しみ方」を知らないのかな。時間が空いた時、すぐに「友達」と連絡を取って、自分の楽しみを「他人」との関わりばっかりに委ねていると、いざ選択肢が与えられた時にはて?自分は一体何がしたいんだっけ?となるんじゃないのかな。丁度、夕方5時まで一緒に遊んでいた友達が、じゃ、オレ用事あるから、って言って帰っちゃって、一人でぽツーンと取り残された感覚。

 

 そもそも、今までの人生で、「自分」について考える時がどれぐらいあったのか。自分の嫌いなところに目を背けないで、それこを血を流しながらしっかり自分と対峙してきたのかどうか。不明瞭な中でも、「これだ」と思うものに目星をつけて、ひたむきに打ち込んた経験があるのか。

 

 あるいは、食わず嫌いになっていないか。好きなラーメンは何ですか、と問われた時に、ラーメンを食べた事のない人は答えられない訳で。味噌ラーメン、豚骨ラーメン、醤油ラーメン、塩ラーメンと食べて初めて、「私は味噌ラーメンが好き」と言えるのではないか。他の味を食べた事がなかったら、もしかしたら一番好きなのは塩ラーメンかもしれないからね。

 

 あとは、力強く何かを選んで突き進むには、「承認」されないと実行は難しい。身内の、親しい友達の肯定的な賛同があれば、たとえその選択肢が台風の中を突き進むような逆境だったとしても、一歩一歩、前に突き進んで行けるんだろう。

 

<一日一新>

 

ENEOSカードを作った

・mont-bell 長瀞店に行った。

 

 あっち