コロナが終息に向かっても人々が『マスク』を取れない理由
コロナウイルスが世界的に流行り、『マスク』が生活必需品と化した。どこへ行くにもマスクを着用し、誰と話すにも、まずはマスクを着用してから。
マスク着用の効果について、コロナ前から言われていた事だが、マスクそれ自体にウイルスから身を守る機能がある訳ではなく、自分が持っている菌を飛散させない効果が第一義としてある。
従って、自分がコロナウイルスを持っていなければ、マスクを着用する意味もあまりないのではないかと個人的には思う。
電車内を見渡すと、マスク着用率は、ほぼ100%だ。
『ほぼ』、というのは、私1人だけがマスクを着用していないからだ。
別に拘りや思想があってマスクを着用していないのではなく、マスクを着用していなかったらどの様な反応をされるのか知りたかったから、マスクをポッケに仕舞い、周囲を観察することにした。
結果としては、特にジロジロ見られたり、自分の隣の席だけ空席になったりといった事は起きなかった。
誰も、(恐らく)気にしていない。
それか、マスクをしていない私を『面倒くさそうな人間』扱いにして、なるべく関わらないために、知らんぷりをしているのだろうか。それは分からない。
同調圧力が強い社会で、それに屈せずに如何に行動するか。
まずは、毎日着けていたマスクを、週に1日ぐらい外して行動する事から始めてみたら如何でしょうか。
僕ですら、『下着を脱いで行動している』感覚がしたので、普通の人なら、かなり人目を気にしてしまうだろう。
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さて、マスクが流行り出して、巷には『マスク美人』という言葉も生まれた。
マスクをすると、口元とフェイスラインが隠れるために、印象として『美人』になる現象だ。
マスクが流行り出して、色々な機能やデザインのマスクが作られて、世の中に流通した。恐らく、その大半は女性をマーケット対象とした商品である。
マスクが要らないと言われている場面でも、人々はマスクを外す事に抵抗を感じるようになった。子供の運動会では、マスクを外すように先生から指示をされても、今は外さない子供が大半であるという。
大人であっても、外しても良い場面でも、外さない選択をとる人が多いと、私は推測する。
それは何故か。
それは、マスクが、この高度に情報化された社会で、自分自身の『匿名性』を担保出来るツールである事に、人々が気づいたからである。
(続く)