高校教師の奮闘記録。

このブログのキーワード:外国語、大企業、働き方、人生、カフェ、喫茶店、読書

この場ぐらい、本音で語らせてくれ。

欲望のままに生きることにした。

 

もういい、色々吹っ切れた。

 

自分にも他人にも、もう嘘は付かない。

私は、不労所得が欲しい。

毎月安定した収入を得て、最低限の生活資金を確保して、

自分の好きなことを追求していきたい。

 

岩波文庫を全巻読書したい。

名画を全部観たい。

世界中を旅して周りたい。

フランス語、英語、ポルトガル語ヒンディー語、ロシア語、タイ語、中国語、インドネシア語アラビア語をマスターしたい。

日本語教室を開きたい。

自分の子供と一緒に遊びたい。

海外で和太鼓公演をしたい。和太鼓チームを作りたい。

 

別に、何物にもなれなくていい。

自分の願望に忠実になって、全てを叶えてから、死にたい。

 

ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。

 

 

年末年始、周りと差を付けるベストな方法!

 

何となくお昼頃にモソモソと起き出し、

朝食と昼食を一緒に済ませ、

ベッドの中でスマホを弄って過ごし、

少し外の空気を吸いたくなり、適当に着替えて近くのお店まで何となく出かけ、

夜ご飯を食べ、

SNSで時間をつぶし、

夜遅くなっているのに気が付き、眠る。

 

こんな毎日を年末年始に送るなんて、勿体なくないですか?

 

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あなたは一日完全フリーな日に、何をして過ごしていますか。

この大晦日、元旦の年末年始、一日完全にフリーという方もきっと多いのではないでしょうか。その中で、友達と忘年会、新年会をしたり、親戚と集まって団欒したり、皆完全にフリーな日を大いに利用して、予定を立てている事と思います。

 

年末年始、大半の人が稼働していなく、「息抜きモード」に入っています。

そんな中で、一日ちょっとでもいいから、何か将来の自分にとってプラスとなるような行動を取れたら、周りのライバル・いや、殆どの日本人より一歩先に行けるのではと思います。

 

今日、駅伝を観ていて思いました。

彼らは、僕たち(テレビを観ている側)が休んでいるこの年末年始に、「本番」があります。この1月1日、2日に自分のピークを持ってくるべく、完全にオフになる事なく練習に励んできた訳です。

 

そう、この時期は大半の人にとって休みの時期ですが、それでも稼働している人は確実に存在するのです。僕の介護職についている友達も、1月1日から仕事です。介護には、年末年始など関係ないからです。

 

今日は、誰もが休みモードに入っている中で、ほどほどに自分の生産性を向上させるためのベストな方法を紹介します。

それは、

 

1日のタスクを午前中に全部終わらせる 

 

です。

 

完全にオフの日には、だらだらと寝ていたい気分にもなるでしょう。

そんな気持ちに打ち勝って、少しでもやっておきたいことがあれば、ちょこっと頑張ってその日の午前中に一日のタスクを終わらせる様にしてしまいます。

 

これによって得られる最大のメリットは、

 

・「一日を無駄にした感」から解放される

 

ことだと思います。

一日の内、どんな事でもいいから、

自分で立てた計画を実行し、終わらせる作業をした人は、決して、一日を無駄にした感覚は持たないはずです。

 

僕も、意識的に午前中は作業の時間と位置づけ、やらねばならぬ事は全て午前中に片づけてしまっています。

 

どうぞ、参考にして下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長期海外出張で、良い結果を残せなかった。反省→改善。

2017年12月31日。今年もあっという間に終わろうとしている。

 

今年は、今まで生きてきた25年間の中でも特に、色々と変化の多い一年だった。

 

変化を最初にまとめてしまうと、

・学生→社会人になる(就職)

・研修期間中、日本全国を転々と移動

・自分で金を稼ぐようになる

・配属後、直にブラジルへ長期海外出張に行く

 

といったところか。

とりわけ、学生から社会人へ身分が変わったのは、自分の中で、想像していたよりも遥かに大きい変化が生まれた様に思う。

お金を払ってまで学ぶ、という事が遂に終わった、という事。

会社に労働を提供し、その対価として賃金(お給料)を貰う、という事。

賃金を貰っているのだから、当然僕はそれなりの結果を出さなければならない。

初の海外出張では、周りはどう思っているか分からないが、自分では大した結果を残すことが出来ず、点数を付けるとすればギリギリ平均点、といった所であろうか。

正直、自分はもっと「出来る」人材だと信じていた。要領よく仕事をこなし、周りから一目置かれる存在になれると思っていた。しかし現実は、指示を理解できても、実際の作業(アウトプット)は中途半端でしかも間違っている。期日までに結果を残すことが出来ない、といった具合だ。

幸いな事に、僕は社会人1年目という事もあって、周りの社員も暖かい目で見てくれてはいるが、そんな不十分な結果しか残せていない自分に対して、不甲斐ない思いで一杯なのだ。

 

悔しい。ただただ、悔しい、、、。

 

実用書やビジネス書を何冊読んだ所で、結局それを実践出来ていなければ、一冊も読んでいない事に限りなく近い。その事を痛感した。

 

僕には、まだまだ甘えの心がある。

2018年には、そんな「甘え」を捨て、良い結果を残して周りからの信頼を勝ち取りたい。「お、あいつ変わったな」って、思われるような存在になりたい。

 

 

2017年は、英語、ポルトガル語の能力が向上した。英語に至ってはビジネスレベル、ポルトガル語は日常会話レベルにまで達したと思う。

 

2018年は、

英語→TOEIC850以上

ポルトガル語→単語を増やす、使える文法事項を増やす

ビルマ語→忘れないように、ビルマ語新聞記事を読む

ヒンディー語→読みの練習、日常会話の練習

 

を必須条件と置く。

後は何語に手を付けようかしら。

中国語か、マレーシア語か、ベトナム語か、、。

ベトナム語なんてのもいいかもな。

 

今ふと思いついたのだが、東南アジア諸言語全てを日常会話程度喋れる様になったら、意外と強い人材になれるのではないか。

ビルマ語、タイ語ラオス語、ベトナム語カンボジア語、マレーシア語、インドネシア語、、。

そうなったら、文字の壁が無いベトナム語から手を付けてみるかな、、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大企業

 

就活の時に考えてたこと。

 

<大企業に入る意味>

 

・大きい資本を以てビジネスが出来る。

・あとから中小、ベンチャーには転職できるが、逆はし難い。

・給料が良い

・大学まで出て、知名度の高い企業に入る事で、田舎の両親への親孝行になる

 

 

こんな事を考えていた。

大企業の社員になった今、上にあげた事は何ら変える必要がないと思う。

 

 

1つ、誤算だったといえば、

大企業は、「スピード感」に欠ける、という事だ。

自己の成長スピード、裁量からしたら、ベンチャーで仕事を手伝っていた時の方が圧倒的に凄かった。

大企業で、それなりの裁量を与えられて思いっきりビジネスをするには、

完全なる年功序列社会で数年の「我慢」が必要である。

その「我慢」の先に、大きなる裁量で仕事をする事を許される。

その時には、勿論大きなる責任も背負う事になるが。

 

入社5年で会社を辞めたらきっと。

大企業サラリーマンとしての本当の「楽しさ」、「醍醐味」を感じる事が出来ずに終わるであろう。

 

現時点で推測するに、最低でも7、8年は必要である、と言える。

 

 

 

事故に遭った。

 

連日台風情報が放送させているが、現在私のいるここ関東地方は全くの快晴である。

 

夏と変わらないぐらい気温が上昇してかなり暑いが、ミンミンゼミの声が一切聞こえてこない。夏も終わり、これは「残暑」なのだと、感じざるを得ない。

 

 

一昨日、バイクを運転中横転して、両腕と右足を負傷した。

国道140号線を50km程で軽快に走っていたのだが、そのまま急カーブに入ってしまい、うまくハンドルを切ることが出来ずに、その場で転んだ。ガードレールに突っ込むこともなく、周囲の車に接触することもなく、要するにただの自滅で終わった。

 

後ろにはトラックが来ていたが、幸いなことに僕が横転したのを見て停まってくれたので、轢かれずに済んだ。不幸中の幸いである。

 

事故を起こした、というのも、人生のうちにそうは経験しないと思うので、その時の僕の心情を少し細かく書き記しておきたいと思う。

 

カーブを曲がろうとおもって50km程出ている状態でハンドルを切った訳だが、バイクがフラフラし出してブレーキが全然聞かなかった。

 

この瞬間、「あ、これは滑って転ぶな」と瞬時に思ったのは覚えている。

そのまま、僕は右側に傾くようにバイクと共に横転した。砕け散って前方に飛んでいくバイクのパーツを見て、「あーバイク壊れた。これは不味いことになりそうだな…」と思いながら地面に叩きつけられた。その時は特に痛みも感じず、このまま横たわっていたら後続車に迷惑を掛けると咄嗟に判断して、すぐに起き上がり、バイクを何とか起き上がらせて車道脇、白いガードレールにもたせかける様に置いた。

 

後続車はその間停まってくれていて、僕が立ち上がってバイクを路肩に寄せるのを見届けるや否や、何事もなかったかの様に発信していった。僕は「大丈夫か」ぐらいの言葉を投げかけられるものだとばかり思っていたので、凄く違和感を覚えた。緊急事態とはいえ、普通の人は出来るだけ「我、関せず」を貫くんだなと感じた。

 

その後、国道なだけに後続の車が次々と事故現場を通り過ぎて行った。進行方向と真逆の向きに停められた、前輪が取れかかっていてサイドミラーがブランブランしている事故車に皆好奇な視線を投げるだけで、誰一人事故にあった僕に話しかけてくれるひとはいなかった。

 

「さって、事故っちまったなぁ、、、どうすれば良いんだっけな」と思いながわ、取り合えずガードレールを飛び越えて歩道に入り、数メートル先の路肩に腰を降ろした。

ここで、改めて自分の全身を眺めていると、右手のひらから激しい出血をしていて血だらけになっている事に気が付いた。

自分が怪我をしている事に気が付くと、人間は痛みを認識する様に出来ているらしい。おびただしい血の量を見た途端に、激しい痛みが僕を襲った。右膝辺りのジーパンは破けていて、「お、これで正真正銘のダメージジーンズの出来上がりだな」なんて思った。

 

スマホはバキバキに割れていたが、ガラケーは一切損なわれていなく無事であった。とりあえず119に連絡するかと思い立ち、119に電話を掛けた。ワンコールで出て、火事ですが救急ですか、と電話越しに問いかけられる。火事ではないな、と思い、救急です、と手短に答えた。続いてどうされましたか、と問われたので、ここで事故った詳細を詳しく述べた。

 

この時に確認として問われたのは、

 

バイクのガソリンは漏れていないか

怪我はどのぐらいしているか

現在地を教えてくれ

の三点だった。ガソリンの漏れを聞かれて、ちょっと待ってくださいねーなんて言って、再び事故ったバイクが置いてある現場まで行って状況を確認したり、現在地を教えるために、周りに見えているものを説明したりした。

 

電話し終わった後、とりあえず親に電話を入れた。そんなに大事にしたくなかった、という心理が働いたのか、平静を装って話そうとしている自分がいた。

 

「いやーバイクで転んじゃってさー、バイク壊れちゃった。、、、うん、、、うん、、いや、俺自体は何ともないんだけどさー、、レッカー車呼ぶと金掛かるから、車出してくれない?、、、うん、、、うん、、、取り合えずこれから消防が来るらしいから、終わったらまた連絡するわ。うん、はい。」

 

いつも通り電話したつもりだったが、声が上擦って、震えていたと思う。

 

そして5分後ぐらいに、遠くからけたましい音を立てながら消防車が来るのが分かった。「うわーー大げさだなあ、、、」と感じずにはいられなかった。僕と事故車を発見して、その場で消防車と停止させるや否や、3人の赤い服を着た救急隊員が僕の方にやって来た。

 

なんか職質みたいに色々聞きだされるのかと思ったら、感じのいいおっちゃんって感じで、「どうしたん?転んじゃったん?」ってな具合で話しかけてきた。これには僕も笑顔になり、「そうですねー、、やっちまいましたねぇ…」と返答した。

 

その後。若い隊員二人が、僕の生年月日や職業を聞いたり、ケガしてる部位の応急手当をしてくれた。この手当をしてくれていた隊員がいきなり、「俺の事覚えていますか」なんて言うもんだから、えっ?って言ってまじまじとその隊員を見た。なんと、かつての習い事をしていた時の後輩だった。10年ぶりぐらいの再開だった。これも不幸中の幸いって言ってもいいのかなぁ。

 

それでテキパキと処理を終えて、救急隊員は帰っていった。警察も来ていたのだが、僕が比較的軽傷で、事故ではなく物損だけとのことから、すぐに駐在所に帰ってしまった。僕は再び、事故車両と共にその場にポツンと取り残されてしまった。ああ、こんなにも早く事故処理って終わってしまうのね、と思った。

 

畑の土手に移動させたバイクの隣に座り、モンゴル800の「I will be」を大音量で聴いてた。後ろの国道では、には、まるで何事もなかったかのように車がビュンビュンと行きかっている。

 

なんかデジャヴを感じるなと思ったら、そうだ、村上春樹の処女作「風の歌を聴け」でも、こんな様な場面があったのを思い出した。主人公と鼠が、車で思いっきりスピードを出して走っていて、電柱にぶつかるんだったっけかな?でも2人は無傷で、そのまま屋根の部分から車の中から脱出して、煙草に火をつけるシーンがあったはずなんだ。それを思い出していた。

 

 

その後、親父がバンで迎えに来てくれて、バイクをどうにかこうにか車に乗っけて、帰路に着いた訳だ。

 

今、右手には包帯を巻いていて、足には仰々しくもデカい絆創膏を2枚貼っている。

 

 

とんだ3連休初日となってしまったが、まあこういう事もあるよな、と、反省してるというよりは人生の内の貴重な経験をした日として振り返っている。

 

 

台風は東北へと向かっている。

僕は図書館へ行き、TSUTAYAへ行く。