高校教師の奮闘記録。

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この場ぐらい、本音で語らせてくれ。

一見「楽しい」授業。

 

授業を通して、教員は生徒に担当科目の「面白さ」を伝道しなければならない。それが全てだと言っても良い。


生徒が卒業後も、「あの先生」、「あの授業」、「あの内容」が昨日の事の様に思い出され、知的好奇心を駆り立てられる様な。
そういった授業を展開出来たら、腕のある教師として認定して良いだろうし、そういった授業を受ける事の出来た生徒は、幸いである。

昨今、「見かけ」の面白い授業を展開する教師が増えてきた。
一見、教室がワッと盛り上がっている様に見えるが、知的探求に向けての盛り上がりとは程遠い光景をよく目にする。

じゃんけんが面白いのは当然である。そこに教員としての技能の高さは関係ない。
ミニゲーム」を授業中に取り入れて、生徒が喜ぶのは当然である。ゲーム性のある活動は、単純で、勝敗が明確で、のめり込みやすい。

問題は、ただ、その場で面白いだけなこと。
それが積み重なったところで、生徒の頭の中は「あー、今日も面白かった(=良い暇つぶしが出来た)」で終わってしまうだろう。



教員として目指すゴールを据えるとしたら、それではいかん。そういった授業を展開する教師は、3流である。

真の教師とは。
生徒が如何なるレベルにあろうと、授業を通して、その科目の奥深さと、楽しさ。自ら進んで勉強したいと生徒が思える様な授業を展開するものだ。


「アクティブ・ラーニング」が学校現場で叫ばれる様になって久しい。
この言葉をはき違えて、単なる幼稚園の延長の様な授業を行っていないか。
生徒が楽しそうにワイワイする様子を見て、安堵してしまっていないか。


…無論、如何なる理由であれ、終始生徒が「つまらない」と感じる様な授業しか展開できない教師は、論外である事は付け加えておく。