高校教師の奮闘記録。

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この場ぐらい、本音で語らせてくれ。

事故に遭った。

 

連日台風情報が放送させているが、現在私のいるここ関東地方は全くの快晴である。

 

夏と変わらないぐらい気温が上昇してかなり暑いが、ミンミンゼミの声が一切聞こえてこない。夏も終わり、これは「残暑」なのだと、感じざるを得ない。

 

 

一昨日、バイクを運転中横転して、両腕と右足を負傷した。

国道140号線を50km程で軽快に走っていたのだが、そのまま急カーブに入ってしまい、うまくハンドルを切ることが出来ずに、その場で転んだ。ガードレールに突っ込むこともなく、周囲の車に接触することもなく、要するにただの自滅で終わった。

 

後ろにはトラックが来ていたが、幸いなことに僕が横転したのを見て停まってくれたので、轢かれずに済んだ。不幸中の幸いである。

 

事故を起こした、というのも、人生のうちにそうは経験しないと思うので、その時の僕の心情を少し細かく書き記しておきたいと思う。

 

カーブを曲がろうとおもって50km程出ている状態でハンドルを切った訳だが、バイクがフラフラし出してブレーキが全然聞かなかった。

 

この瞬間、「あ、これは滑って転ぶな」と瞬時に思ったのは覚えている。

そのまま、僕は右側に傾くようにバイクと共に横転した。砕け散って前方に飛んでいくバイクのパーツを見て、「あーバイク壊れた。これは不味いことになりそうだな…」と思いながら地面に叩きつけられた。その時は特に痛みも感じず、このまま横たわっていたら後続車に迷惑を掛けると咄嗟に判断して、すぐに起き上がり、バイクを何とか起き上がらせて車道脇、白いガードレールにもたせかける様に置いた。

 

後続車はその間停まってくれていて、僕が立ち上がってバイクを路肩に寄せるのを見届けるや否や、何事もなかったかの様に発信していった。僕は「大丈夫か」ぐらいの言葉を投げかけられるものだとばかり思っていたので、凄く違和感を覚えた。緊急事態とはいえ、普通の人は出来るだけ「我、関せず」を貫くんだなと感じた。

 

その後、国道なだけに後続の車が次々と事故現場を通り過ぎて行った。進行方向と真逆の向きに停められた、前輪が取れかかっていてサイドミラーがブランブランしている事故車に皆好奇な視線を投げるだけで、誰一人事故にあった僕に話しかけてくれるひとはいなかった。

 

「さって、事故っちまったなぁ、、、どうすれば良いんだっけな」と思いながわ、取り合えずガードレールを飛び越えて歩道に入り、数メートル先の路肩に腰を降ろした。

ここで、改めて自分の全身を眺めていると、右手のひらから激しい出血をしていて血だらけになっている事に気が付いた。

自分が怪我をしている事に気が付くと、人間は痛みを認識する様に出来ているらしい。おびただしい血の量を見た途端に、激しい痛みが僕を襲った。右膝辺りのジーパンは破けていて、「お、これで正真正銘のダメージジーンズの出来上がりだな」なんて思った。

 

スマホはバキバキに割れていたが、ガラケーは一切損なわれていなく無事であった。とりあえず119に連絡するかと思い立ち、119に電話を掛けた。ワンコールで出て、火事ですが救急ですか、と電話越しに問いかけられる。火事ではないな、と思い、救急です、と手短に答えた。続いてどうされましたか、と問われたので、ここで事故った詳細を詳しく述べた。

 

この時に確認として問われたのは、

 

バイクのガソリンは漏れていないか

怪我はどのぐらいしているか

現在地を教えてくれ

の三点だった。ガソリンの漏れを聞かれて、ちょっと待ってくださいねーなんて言って、再び事故ったバイクが置いてある現場まで行って状況を確認したり、現在地を教えるために、周りに見えているものを説明したりした。

 

電話し終わった後、とりあえず親に電話を入れた。そんなに大事にしたくなかった、という心理が働いたのか、平静を装って話そうとしている自分がいた。

 

「いやーバイクで転んじゃってさー、バイク壊れちゃった。、、、うん、、、うん、、いや、俺自体は何ともないんだけどさー、、レッカー車呼ぶと金掛かるから、車出してくれない?、、、うん、、、うん、、、取り合えずこれから消防が来るらしいから、終わったらまた連絡するわ。うん、はい。」

 

いつも通り電話したつもりだったが、声が上擦って、震えていたと思う。

 

そして5分後ぐらいに、遠くからけたましい音を立てながら消防車が来るのが分かった。「うわーー大げさだなあ、、、」と感じずにはいられなかった。僕と事故車を発見して、その場で消防車と停止させるや否や、3人の赤い服を着た救急隊員が僕の方にやって来た。

 

なんか職質みたいに色々聞きだされるのかと思ったら、感じのいいおっちゃんって感じで、「どうしたん?転んじゃったん?」ってな具合で話しかけてきた。これには僕も笑顔になり、「そうですねー、、やっちまいましたねぇ…」と返答した。

 

その後。若い隊員二人が、僕の生年月日や職業を聞いたり、ケガしてる部位の応急手当をしてくれた。この手当をしてくれていた隊員がいきなり、「俺の事覚えていますか」なんて言うもんだから、えっ?って言ってまじまじとその隊員を見た。なんと、かつての習い事をしていた時の後輩だった。10年ぶりぐらいの再開だった。これも不幸中の幸いって言ってもいいのかなぁ。

 

それでテキパキと処理を終えて、救急隊員は帰っていった。警察も来ていたのだが、僕が比較的軽傷で、事故ではなく物損だけとのことから、すぐに駐在所に帰ってしまった。僕は再び、事故車両と共にその場にポツンと取り残されてしまった。ああ、こんなにも早く事故処理って終わってしまうのね、と思った。

 

畑の土手に移動させたバイクの隣に座り、モンゴル800の「I will be」を大音量で聴いてた。後ろの国道では、には、まるで何事もなかったかのように車がビュンビュンと行きかっている。

 

なんかデジャヴを感じるなと思ったら、そうだ、村上春樹の処女作「風の歌を聴け」でも、こんな様な場面があったのを思い出した。主人公と鼠が、車で思いっきりスピードを出して走っていて、電柱にぶつかるんだったっけかな?でも2人は無傷で、そのまま屋根の部分から車の中から脱出して、煙草に火をつけるシーンがあったはずなんだ。それを思い出していた。

 

 

その後、親父がバンで迎えに来てくれて、バイクをどうにかこうにか車に乗っけて、帰路に着いた訳だ。

 

今、右手には包帯を巻いていて、足には仰々しくもデカい絆創膏を2枚貼っている。

 

 

とんだ3連休初日となってしまったが、まあこういう事もあるよな、と、反省してるというよりは人生の内の貴重な経験をした日として振り返っている。

 

 

台風は東北へと向かっている。

僕は図書館へ行き、TSUTAYAへ行く。