高校教師の奮闘記録。

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この場ぐらい、本音で語らせてくれ。

人生で初めて書いた「前書き」~これが人生か、さらばもう一度~

 

2年前、特進クラスの子たちに向けて、自作の「英文速読参考書」を作った。

その時、前々から憧れていた「本の前書き」を書いた。

備忘録がてら、頑張る生徒に向けて書いた前書きを、ここに残しておく。

 

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【前書き…〛

 

れが人生か、さらばもう一度

(さらば=さ・あらば そうであるなら、の意味ですね)

 

かの有名なドイツの哲学者、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェの名言である。私の名言ではない

 ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』において、人間関係の軋轢(あつれき)におびえ、生活の保証、平安、快適、安楽という幸福を求める現代の一般大衆を「畜群(ちくぐん)」と罵(ののし)った。 その上で、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いたのだ。

 現代社会に生きる我々の傾向として、皆、「意味」を求めすぎではないだろうか

 人生とは、一切の虚無で出来上がっている。自分が力を注いで尽力した事も、ただの徒労で終わるかも分からない。頑張ったら頑張った分だけ、挫折を味わう恐怖も現れてくる。

 ニーチェが皆さんに問うているのは、厳しさを昧わったあとでも、自分自身で「よし、もう一度」と言えるような「強さ」があるのか。そしてなおかつ、それがこの先何回も繰り返されてもいい、それでも悔いはないと言える決断なのかどうか。

 もう一度あのような失敗があったとしても、むしろ自分は挫折を選び取る、ぐらいの覚悟で生きろと、ニーチェは言う。なぜならそう考えることによって、現在の自分というものを肯定し、それが、過去を肯定し、全部が連なり、宇宙の創生から、すべてのものを肯定するということになるからだ。
 つまりニーチェの思想は、この永劫回帰する世の中全ての物が無意味であると、全ての行いを否定している訳ではないのだ。その本心は、「自分自身を肯定しろ」、ということ。ニーチェの否定は、肯定するために必要な否定なのだ。

 そしてニーチェの言う「超人」とは、どのような過酷な運命であってもすべて受け入れて肯定し「これが人生だったのか、よし、さらばもう一度!」と、力強く邁進(まいしん)する人の事を言う。

 たとえ何があっても、心がポッキリと折れてはいけない。「よし、もう一度!」と、力強く、前を向いていこう。

 

 

これが英語長文か、さらばもう一度。

これが〇〇高校か、さらばもう一度。

これが〇〇〇〇か、さらばもう一度。 、、、。

                          

                       2020.10.15(木)        あっち

 

 

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なんとも、お尻の青い文章だこと…。
まぁでも、誰か1人の心にでも刺さってくれればなぁって。
そんな気持ちで書いたんだよ。