「ヒドゥン・カリキュラム」を意識する。
「自分は教師である」、という事に、甘んじてはいけない。教師という立場になったからと言って、自分が他人と比べて地位が上がった訳でも、特別に生徒に叱る資格が得られた訳でもない。現実的にはその逆で、教師である自分の一挙手一投足が、生徒に多大な影響を与えかねない事を自覚しなければいけないと、個人的には思う。
自分の意識していないところで、生徒に良い影響を与えているとすれば、それはラッキーだ。
決定的に問題なのは、自分が意識していないところで生徒に与えてしまっている
負の影響、「ヒドゥン・カリキュラム」だ。
ヒドゥンカリキュラムとは、指導案にも授業計画にも発問計画にも書かれない潜在的教育効果のことです。全ての教師は、それぞれのヒドゥンカリキュラムを持っていて、プラスにもマイナスにも働いて、大きな結果に結びついてしまうことがあるのです。優れた教師は、ほとんどみな、このヒドゥンカリキュラムを意識して使っています。
上記のリンクに書いてあるが、例えば、ヒドゥン・カリキュラムには以下の様なものがある。
- 不機嫌さを露骨に表す
- お願いしやすい子どもにばかり頼んでいる
- 冗談が独りよがりになっている
- ひとこと皮肉を言ってしまう
- 子どもをからかう
- ごまかしをする
- マイナス点にこだわる
- 人権意識がない
- しょっちゅう、ぶれる
- 物事への関心が薄い
…これらの項目、残念ながら複数当てはまっている教師が普通に存在する。特に、不機嫌さを露骨に出したり、生徒に心無い言葉を発したり、そもそも生徒に関心が薄かったり。多分、そういう教員は自分が生徒に発している負の側面に気が付くことなく、そのまま教壇に立ち続けるのだろう。戒めとして、自分は、どんなに教科指導能力が他の教員より劣っていようが、基本的な部分だけは、徹底して鍛え上げていこうと思う。
担当教科を教授する前に、そもそも、教師はまず人となりが見られており、そこで生徒から信頼を得られなかったら、真の意味での教育的効果は発揮しない。
忙しい毎日だけど、なるべく、一人ひとりの事を大切に思いながら、プロとして、生徒と接していきたい。
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2022/6/24 追記
皮肉な話であるが、ダメな教師を見て、「こんな大人/教師にはなりたくない」と、反面教師とする生徒も珍しくない。これも、立派な「教育」なのだろうか。