高校教師の奮闘記録。

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この場ぐらい、本音で語らせてくれ。

高校における学級運営の定義・重要性・課題

明解国語辞典(ブログ筆者version)

 

学級運営

 

①生徒が集団生活を営む最小単位であるクラスを、全員にとって安心の出来る場所とな る様にすること。

 

②生徒一人ひとりが、自分の存在意義を感じられる環境を整えること。

 

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高校教員が、目的意識や課題意識を持って学級運営をしている例を、私はあまり知らない。少なくとも私の現所属校では、皆それぞれが独りよがりの学級運営をしている様に見受けられる。

 

 

独りよがり学級運営 ~実例紹介~ (しくじり先生に呼ばれて良いレベル)

 

例1)

オレは/私はこんな豊かな経験をしている。どうだ生徒諸君、凄いだろ。是非とも敬ってくれ、私は他の教員とは違うんだ系

 

例2)

オレは他の教員と違って、こんな民間経験がある。民間ではこうだ。だから生徒諸君も、私の民間経験を参考にしたまえ系

 

例3)

生徒に無関心。生徒主体という名の、全て生徒任せ。生徒が揉め事/問題を起こさなければそれで良い系

 

例4)

き、き、君たち。本当にいい子達だね。学校って嫌な所だよね。うんうん、皆の気持ち、よく分かるよ。校則なんて無い方が良いよね。スカートの丈なんて、自由で良いよね。髪の毛染めたって、個人の自由だよね。オレ/私は皆の味方だよ系

 

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【ダメな学級運営】

 

その①:生徒が出来ていないことを、ただ指摘するだけ

 →例えば、生徒がしっかり挨拶出来ないのは、普段の指導が行き届いていない結果である。教室に捨てられていないペットボトルが数日放置してあれば、それは、ゴミを誰が・いつ・どの様に捨てなければならないかの指導が不足しているからである。

 

どうしたら良いか

 

例:ペットボトルのゴミが数日間教室の後ろに放置されている場合。

 

① 自分の持ち物は、自分の、決められた場所に置くのが原則であることを伝える。机の中と自分のロッカーを使わせる。

 

②教室は、自分の部屋と同じでないことに気付かせる。

 自分の部屋と、教室の違いは何かを考えさせる。自室で許されて、教室で許されない行為とは何かを、ペアで考えさせる。

 

公(パブリック)と私(プライベート)の区別を付けさせる。

 →学校とは、どこまでいっても公の場である。制服の無い学校であったとしても、パ   ジャマで学校に来るべきではない。

 

④良い集団だから環境が整うのではなく、良い環境が、人を創る事を教える。

 

私の場合は、段階的に①~④を徹底して生徒に伝えている。教室の後ろに大きくて誰も使っていない棚があるが、私物は絶対に置かせない。個人所有の棚ではないから。

 

徹底されてくると、教室に誰のモノか分からない物が放置してある事は、まず無くなるし、ゴミも、決められた場所に、決められた方法で捨てるようになる。その方が、自分自身が気持ちいの良い思いが出来ることにも、生徒自身が気付き始める。

 

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【相性で教育を語ってはいけない】

 

教師と生徒の間には、もちろん、「人と人」であるから、相性があっても仕方がない。ただし、相性の良し悪しで、教師が生徒を語るのはご法度である。教育理論や学級運営より、相性が重要だと言うのであれば、我々が専門職として生徒と携わっている理由など何も無くなってしまうではないか。相性で教育を語ったら最後、そこら辺のお兄さん/お姉さんを捕まえてきて、生徒の面倒を見てもらった方が、生徒との相性は良いかもしれないではないか。

 

我々教師が、生徒と多くの時間を共にする意味。それは、教育技術を通して、生徒に将来的に身について欲しい技術や処世術が存在するからだ。それは各家庭で十分に養える物もあるだろうが、取り分け高等学校においては、より高度で、言語化可能なスキルを身に付けさせなければならない。

 

私自身は子育てをした事が無いが、子育てとはまた違う視点から、各生徒を教育していかなくてはいけない。それは、学級運営を通じた集団生活の大切さだったり、他人との関わり方であったり、何より、かけがえのない思い出を作ることであったり。

 

1年間の期限付きの集団であるクラスで、生徒に何を学んでほしいのか。1年後、どういった生徒に育って欲しいのか。それをまずキチっと考えて、言語化しているかどうかで、その後の生徒の人間的成長は、大きく違ってくる。

 

独りよがりな学級運営をする事ほどの罪は、存在しない。

自分と同じような人間を量産したい/今までの自分の人生を、生徒に肯定して欲しいだけの、承認欲求の塊教師が、恐らく、全国の高校現場にはびこっているのだろう。

 

悲しいかな、これが現実。

 

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高校の学級運営=社会人になる前の、総まとめ

 

チェックポイント

 

☐ 日本社会を生きていく上での処世術を、生徒が十分に理解し、体得しているか。

 (例:遅れる場合には遅れると連絡を入れる。他人から何かして貰ったら、御礼を言葉にして伝える。ゴミが落ちていたら、拾ってゴミ箱に入れる。自分の機嫌は、自分で取る様にする、など。小学生の時に学ぶ様な事ではあるが、小学生の時に学んだ事を、精神的に大人になってきた段階でしっかり行動に移せるかどうかが、人としての分岐点である。

 

☐ 自分が「何も知らない」という事を知っているか。

 →時に、若者たちの無鉄砲さには、惹かれるものがある。しかし、自分は何でも知っている、大人たちは考えが古い、周りに迷惑を掛けていても、自分は正しい事をしているという思考に陥っている生徒も、多々見受けられる。

 

 人間は、社会との関わり無くては、生活していけない。社会的動物である。

 私が正しい/他人が間違っている の二項対立から、私も正しい/他人も正しいの意識を養う必要がある。むやみに敵を作ってはいけない。

 

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