高校教師の奮闘記録。

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この場ぐらい、本音で語らせてくれ。

卒業論文、その後の展開、、、。

過去のブログ記事で、こんな内容を記した。↓

 

 

1月5日9時05分に卒論を提出し、
本日、卒業論文発表を終えました。


ビルマ語における1人称代名詞の語彙選択について、現地で調査をしながら地道に続けてきた。それを今日、本当の意味でやっと終止符を打つことが出来た。

 

途中で何度も卒論の執筆が嫌になって、投げ出そうとしたよ。こんなのやっても誰も気にも止めないし、言語学者からしたら大したことのない出来映えだし。

 

ただ、僕が執筆した内容に関して、

少なくとも教養の域を出ることが出来た。

日本全国、まだ誰も明らかにしなかった事を、僕の知の(血の)通った文字を以て世に知らしめる事が出来た。

その一連の作業と成果物に関して、
卒論発表会が終了した今、初めて誇りに思える。


最後まで走りきれた。
大学に通った証を、しかと刻むことが出来た。本当に嬉しい。

 

今日はひたすら、この余韻に浸ろう。

 

 

この場では、さも凄い物を書き上げた様に綴っていたが、

内心はというと、自分自身の至らなさに、本当に打ちひしがれていた。

 

同じゼミの同期で、大学院に進学することが決まっていた子の論文なんかは、遥かに出来栄えが良くって、何より研究テーマがカッコよくて、彼女の卒論途中経過報告を聞くたびに、自分の論文の出来の悪さを思い知らされて、恥ずかしい思いをしていた。

自分には院に進んで言語学の研究を進める才能なんてありはしないんだなと。本気でそう思ったから、むしろスムーズに切り替えが出来て、就職していった。

 

あれから7年、もう卒論の存在なんて忘れていたが、久し振りに当時の指導教官であるO先生からメールが来た。

 

そのメールで明らかになったのだが、なんと私の書いた論文を参考文献としてO先生も使用していたのだ。学術的価値などゼロに等しいと思っていただけに、きつねにつままれた思いがした。

そして、大阪大学の学部生と、東京外国語大学の大学院生にも、論文をお見せすることは出来ないかと、そのメールには書いてあった。

 

正直、冗談だろうと。

あんな(ゴミみたいな卒業論文に、今更掘り起こして研究生が一読する様な価値があるなんて、執筆者ではあるが、到底思えない。
むしろ、今になってまた掘り起こされて、出来の悪さを世に露呈させてしまう事が、とても恥ずかしい。思いもよらぬ展開に、こういう事もあるのかと、ただただ驚くばかりである。

改めて論文を読み返してみたが、やはり基本的な書き方が拙くて、出来栄えは正直悪い気がするのだが…。O先生は何か勘違いしているのではないだろうか…。

それでも、現役の研究生たちの参考に少しでもなってくれればいいので、恥を忍んで、論文のデータを提供する事にした。

人生、何が起こるか本当に分からないなぁ…。