高校教師の奮闘記録。

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この場ぐらい、本音で語らせてくれ。

適切な「距離」をとる。

 

自分とヒトやモノとの距離感って、とても大切。

 今、この文章は、アナログのラジオを聴きながら書いている。
私にとって、ラジオという媒体は、とても心地いい。これがテレビやスマホからの音楽に置き換わると、そっちに注意が向きすぎてしまって、注意散漫になってしまう。周波数がどこに合っているか分からないが、ニュースだったり、英会話だったりが、雑な音で流れてくる。

私にとって、身近に置いておきたいモノ。

 ・ラジオ

 ・本

 ・革製品

 ・車

 ・やかん

 

私にとって、遠ざけておきたいモノ

 ・デジタル製品全般

 

1人静かに自室に籠り、炬燵にあたりながら、本に囲まれ、ラジオを聴き、コーヒーを飲む。何物にも代え難い、至福の一時である。

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大量にある不用品の一部を、思い切って断捨離した。

着なくなったTシャツ10着、書籍15冊、その他色々。

過去のモノを多く抱え込みすぎていた。

自分のリュックがどんどん重くなっていって、しまいには引きずってしまっていた。

捨てるごとに、心が軽くなる気がした。

 

過去を捨てるのではない。過去を忘れるのでもない。過去に囚われるのも違う。

勝手に血肉と化した過去と共に、ただひたすら、現在を真剣に生きるだけ。

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それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食べ物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれたものではないか。あなたがたのうち、誰が思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょう生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上良くして下さらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」

       マタイ福音書6章