高校教師の奮闘記録。

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この場ぐらい、本音で語らせてくれ。

大抵のモノは、失っても生きていける。それどころか、失うことで得られる恩恵もある。

 

スマホのホーム画面には、何のアプリも置かない主義だ。

 

私のホーム画面

電話も、設定ボタンも置かない。無の状態が好きだ。
これにより、スマホを開いた時に無意識にアプリをタップして時間を浪費してしまう事を、極力避けている。

そこにあれば、使ってしまうのが人間の性(さが)。
そこになければ、「使う」という発想すら生まれない。そう、自分の思考から消せばいい。

今、私の目の前には、本が沢山並べられてあり、いつも視界に入る状態になっている。
こうする事で、自然とその本が意識される様になり、結果として本を手に取り、読書をする時間が増える。
こうやって、自分の行動を、意図的に操作する事で、節度ある生活を維持している。

スマホから、TwitterFacebookInstagramのアプリを削除した。
消した事で、この3つを全く見なくなった。

特にTwitterに関しては、他の教員のつぶやきを見たり、言論人達が国内外のニュースを痛快にぶった切るつぶやきを流し読みするのが、単純に楽しかった。暇な時間、例えば、電車に乗り込んだ時や、ちょっとした待ち時間が出来た時には、決まってスマホを開いてTwitterを見ていた。

(そういえば、聞いた話によると、Twitterのタイムラインを更新するあの動作、画面を下にスワイプするあの動作は、ちょうどギャンブラーがルーレットを回すのと同じ作用をするらしい。つまり、「何か面白い事が起こる」という期待値が高まり、脳に報酬快楽物質であるドーパミンを分泌させる働きがあるとか。Twitterが依存度の高いアプリなのは、その為でもあるという。)

Twitterアプリを削除してからは、全く見なくなり、とても多くの時間が捻出される様になった。自分にとって学びがあると思っていたツイッターは、ただの「娯楽」でしかなかった事が分かった。私の現実の人生そのものに、マイナスの影響を与える事はなかった。それどころか、読書量が増えたり、他の有意義な事をする時間が増えた為、むしろアプリを削除したことは有益だったと言える。

 

SNSを頻繁に見て、他の人の人生の「良い場面」、「良い瞬間」を覗き見していても、自己肯定感が下がる一方である。

SNSを見て、日本や日本政府の批判ばかり見ていても、自分の思想や思考が凝り固まるだけである。SNSの世論=世間の考えではないから。


私は、自分の頭に、情報を沢山詰め込み過ぎていた。
沢山情報を入れれば入れる程、多くの選択肢が生まれる事で、より広範囲の中から物事を決断する事が出来ると考えてたから。

しかし実際は、選択肢や考えが広がりすぎた事で、身動きが取れなくなってしまっていた。
よく分からない「世間の目」を気にするようになってしまい、何か行動するにも、批判を恐れてしまう逃げの姿勢が身についてしまった。

今、過度の情報受容を止めた事で、
心の中は晴れやかである。快晴とまではいかないが、文句なしの晴れだ。

所詮、私に捌ききれる情報量なんてたかが知れている。
私にとって必要な情報など、それほど多くない。

Yahoo!ニュースを見て、偏った意見やコメント欄を毎日閲覧するぐらいなら、
オールドメディアと批判を受け、斜陽産業だと馬鹿にされる新聞を毎日読んだ方が、思考力や情報取捨選択能力は、格段に身に着くハズだ。

スマホがあれば何でも出来る」と豪語していた某インフルエンサーのいう事を真に受けて、どんな情報も自分の手中にあり、どんな知識でも調べれば手に入ると勘違いしていた自分が恥ずかしい。

「幸せになる方法」などとググっていた自分が恥ずかしい。
そんな事を、誰が書いたかも分からないネットに答えを聞こうとしている所が、私の思考の劣化を表している。短絡的な人間になってしまっていた。

「これからの時代は~」と、令和になって声高に叫ぶ輩(やから)が増えた。
人間的な、アナログの営みを否定して、何でもかんでも、「技術的に可能」だからといって、盲目的にデジタル化に舵を切る人たちが増えた。

馬鹿じゃないのか!(大声)

そうやって足元や目前の大切な物や存在をないがしろにして、画面ばっかり覗き込んで。
ちょっとは目線を上げて周りを見てみなよ。スマホのゲームより楽しい事なんて、そこら中に転がっているじゃないの。

「楽しい」という感情を、人が作ったモノでしか味わえない人。かわいそうだ。
新作のゲームや漫画、アニメを、指をくわえて待っている事しか出来ないのだから。

人と話せばいい。
特定の人と、お互い言葉が出なくなるまで、何時間も話せばいい。
話し終わった後に、何とも言えない達成感と悦びがある事を、大抵の人は知らない。

私は知っている。

そして、そんな「話が出来る人」を、いつでも探している。